ベトナムコンサート報告 その2

初の海外公演・・・!! そこにはそこには派手さも華やかさも とても少ないけれど
とびっきりの笑顔と 子どもたちのキラキラした瞳と 心の温もりと そして アイ・ラブ・ユーに囲まれた
きっと 誰にも実現出来ないかも知れない 何よりも宮沢らしい
そんなベトナムでの海外公演でした
いまこうしていても その一瞬一瞬の場面がよみがえり 心が温かくなります

そしてぼくにとってのもう一つ大きな大きなできごと!! 
それは ベトナム戦争の枯れ葉剤作戦の犠牲者である
ドクさんとの面会が叶ったことでした

ぼくがうたいはじめたころの代表曲「世界中のお母さんたちへ」は
まさに そのベトちゃんとドクちゃんとの衝撃的な写真を目の当たりにしたのをきっかけに作られたもの・・・
その「世界中のお母さんたちへ」のうたを 今回 ベトナムの地でうたえたこと
そのうたを通して二度と戦争の悲劇をくり返してはならない!! という思いを共にできたこと・・・
ぼくのうた人生の忘れられない瞬間となりました
そんな一コマのご紹介です




ベトナム宿泊のホテルまで訪ねて来てくれたドクさん・・・
プレゼントの 「世界中のお母さんたちへ」収録のセカンドアルバム「時代を越えて」(復刻版)を手に 記念撮影です

NGUYEN DUGさん・・・
グエン・ドクさん(兄であるベトさんは残念ながら9年前に他界しました)
ベトちゃん・ドクちゃん 2人は1981年 上半身2つが 1つの下半身でY型に繋がった結合双生児として誕生しました
その原因は ベトナム戦争のさ中アメリカ軍が行った枯葉作戦(猛毒のダイオキシンを含んだ薬剤を大量に散布した)の後遺症であると考えられています
1988年 急性脳症の後遺症を患っていた 兄のベトさんが意識不明の重体となり 2人とも死亡してしまう事態を避けるため分離手術が行われました
この手術は日本赤十字社が支援し、日本から医師団が派遣され高度な医療技術が提供され ベトナム人医師70人、日本人医師4人という医師団を編成しての
17時間に及ぶ大手術は成功し、ベトさんには左足、ドクさんには右足がそれぞれ残されました
しかし 兄のベトさんは 重い脳障害を抱え 寝たきりの状態が続き 周りの方たちの応援空しく 2007年 26歳で息を引き取りました
一方ドクさんは その後 職業学校でコンピュータプログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となり また 多彩なボランティア活動も続けています
やがてドクさんはそのボランティア活動の際に知り合った女生と結婚し
2009年には男女の双子が誕生
それぞれ富士山と桜にちなみ、男の子はグエン・フー・シー、女の子はグエン・アイン・ダオと命名されています
(この日はスマホに入っていた日本の着物を着た2人のお子さんのなんともかわいい写真も見せていただきました)

ドクさんは来日を重ねており、2012年8月には東北を訪れ東日本大震災で被災した障害者たちとも交流しています

ドクさんが手にしている「世界中のお母さんたちへ」収録のセカンドアルバムの初版は1984年・・・
(当時はLPレコードでした)
それから長〜い 長〜い年月を経たこの時代ですが・・・  あらためてぼくはいま 平和の尊さを 
そして戦争の愚かさを真正面に据えてうたわなくては・・・と 思いを強くしています
そんな思いから生まれ 先日新曲として発表した「君の行く道」も たくさんの反響をいただいています
そんなさなかに まさにぼくにとっての「反戦歌」の原点であるこの「世界中のお母さんたちへの」のうたを
今回のベトナムコンサートの中でうたえたことに 何か特別の意味を感じています

数え切れないほどに たくさんの たくさんの宝物を持ち帰ることができたベトナムでのコンサートでした
それらを糧に さらにこれからの活動もエネルギッシュでありたいと 気持ちを新たにしています

2016年11月7日 宮沢勝之