| あっぱれ!!だと 心からそう思う父が 95歳を迎えた
 青春を あのいまわしい戦争に奪われ中国の最前線で おびただしい数の戦友の死を見て
 自身も死を目前にしながら
 それでも死なずに生き延びてくれた父
 敗戦を知らされたその後も1年間にも渡り 捕虜として中国に残留
 いのちからがらに 郷里の釧路へと辿り着いた時
 その父の帰りを待ちわびていた 祖父は
 願い果たせぬまま 亡くなっていた
 せめてもの一本を タバコ好きの祖父に…と
 軍服のポケットに隠し持っていた つぶれたタバコを握りしめ 父は泣き崩れた
 戦後 一変した どん底の暮らしの中から 父は 必死で這い上がった何度も 自分に何くそと 言い聞かせながら・・・
 やがて 3人の子どもが生まれ母共々
 子どもたちとの 暮らしをとても大切にしてくれた
 その時代において 子どもたちに
 サンタクロースをず~っと信じさせ続けてくれたのも 父母だった
 そして 何よりも戦争の愚かさを
 子どもたちに語り継いでくれた
 
 やがて 子どもたちも巣立ち
 父も定年を迎え
 少しだけ穏やかな暮らしに身を起き始めたころ 母に 認知症が現れた
 多くの知識を持ち合わせていなかった父は
 直面する母の現実に 動揺し続けた・・・
 やがて ゆ~っくり ゆ~っくりと
 父自身にも 認知症の症状が現れ始めた
 9年前 東京に住む姉は そんな父母を東京へ呼び寄せてくれた父母の 慣れぬ東京での暮らしが始まった
 でも それでも 父母の表情はとても穏やかに変わっていった
 けれど そんな穏やかでしあわせな時間は そう長くは続かなかった
 3年前に母の入院生活が始まり 父自身も 昨年11月より老人施設で暮らし始めた
 そして 今年2月 母が92歳で息を引き取った
 葬儀にも参加した父は 深く哀しんだ施設に戻って直後 大きく体調も崩した
 しかし その父は やがて 母が亡くなったことを忘れた(いや 忘れてしまうことにしたのかも知れない)
 父の面会に行くと
 「母さんはどうしてる?」と
 何度も なんども訪ねて来た
 父の心のダメージを考え
 「元気にしてるから大丈夫だよ…」と答え続けてきた
 しかし 最近はそんな質問も母の話題すらも出ることがなくなってきた
 そして 目に見えて 気持ちも体力も
 衰弱してきているのを感じる
 昨日 8月20日 父は 95歳を迎えたあっぱれ!!だと 心からそう思う
 まだまだ 親孝行させてほしい と 心から思う
 この日・・・父は心で何を考えていたのだろう・・・
 
 2017年8月21日
 |